元雀荘のメンバーとしての仕事内容やソフトな思い出を前編と中編と分けて書いてきましたが、ここでその頃のハードな思い出をおさらいします。
中編の記事で書いた内容から一部削除して追加されていますがもはや誤差です。
箇条書きするだけでも吐きそうなぐらい酷いラインナップですが、どういうことか1つずつご紹介します。
詳しく書くとこれだけで2万文字(中編で8500文字)は超えそうなので、マイルドに控えめに書きます。
なお、2つ目のスロットにハマって消費者金融の下りはこちら
注意
今回の記事はほぼ8割ぐらい雀荘の元メンバー云々は関係ありません。
この記事を読んで得られるものは、世の中には中々の底辺がいるという事と、こうはなるまいという反面教師だけですので、興味のない方はブラウザバックをおススメします。
前編記事(雀荘とは?)はこちら
中編記事(雀荘での仕事内容)はこちら
雀荘や、それに関する内容に興味のある方はこちらをご覧ください。
この記事にはクズだった自分の歴史しかありませんのでほぼ得る物はありません。
雀荘で働くきっかけのおさらい
自分自身は地方から都会に出てきた田舎者。
当時都会にいた友人がいい物件あるから住む?と勧められてノープランで上京。
貯金ゼロ、働く先の目途がなく、求人で見た雀荘にバイトで入社。
当時の年齢は20代前半。
勤務先の雀荘に福利厚生という概念は無し。
こんな状況でした。
雀荘での時給860円
当時の地域の最低賃金が700円台前半だったので、それを考えればいい方でした。
好きな麻雀を打ちながらお給料がもらえる、天国ですね。
中編の記事でも書きましたが1時間分の給料はマッハで消し飛びます。
3か月連続で給料はマイナス、貯金ゼロのNOプランで田舎から出てきた僕にはボチボチ地獄でした。
4か月目以降も給料は5万あればいい方でしたので、毎月金欠でした。(※週6、朝10時から日付変わってお客さんが帰るまでの勤務です)
なぜこれをジャブ感覚で最初に持ってきたかというと、とりあえず理解してほしかったのはほとんど収入がなく万年金欠だったというのが大前提です。
パチスロ4号機時代で狂ったように消費者金融に手を出し5社焦げ付かせる
わからない人にザックリ解説すると、パチスロ4号機は今と違い10万負けても20万返ってくる、頭と財布のネジをダース単位で吹き飛ばす狂った時代でした。
僕も当然どっぷり沼にはまっていました、収入がほぼ無いのに。
パチスロを打つために消費者金融で借りました、収入がほぼ無いのに。
最終的に5社から借り入れていましたが、当然収入がほぼ無いので返済などできません。
当時住所の転出届もしていなかったので、実家に催促の紙が鬼のように届いていたそうです。
雀荘は2.3年勤務していたので当然焦げ付いて真っ黒です(訳:返せないので利息が膨らんでえらいこっちゃ)
これのせいだけでは無いのですが、人生で初めてクレジットカードを作れたのが30代前半です。
楽天カードマンさえ黙って首を横に振るレベルで審査に落ちまくっていました。
笑いを通り越して虚無だったのを覚えています。
公共料金が払えず電気、ガス、水道を止められるフルコンボ
まだ賃貸に住んでいた頃、家に帰ったら電気がつきませんでした。
季節はゴリッゴリに冷え込む冬です。
冗談で部屋の隅で三角座りして毛布を被ったら涙が出てきました。
しかし当時はなかなかの鋼のメンタル、雀荘に寝泊まりすればいいと開き直り、2ヶ月過ぎた頃でしょうか?
ガスと水道も止められていました(笑)
もはや人間的な生活はどこへやらで
- 衣→ほぼ店の制服で生活していた為、自分の服は全て売りに出す
- 食→お金が無いので2食アイスコーヒーシロップ増し、たまにマクドナルド
- 住→ライフラインがバッサリカットされたためもはや雨風凌げるだけの箱
ほぼ底に近い生活水準でした。
結果、賃貸を追い出され家具などは店長の家に、住む場所はメンバーの家などを転々
家賃を2ヶ月に1回払って凌いでいましたが、最終的に2ヶ月に1回でも支払うことが無理になり綺麗に追い出されました。
家具を実家に郵送するお金もなかったので一時的に店長の賃貸へ退避(1年以上に渡り預かってもらうことになる)
僕は店長の家に泊まったり同期のメンバーの家に転がり込んだりと、どの角度から見てもただのやべぇ奴。
尚、これが原因で後にプチホームレスになる。
仕事を辞めれない環境
ここで誰もが抱く疑問があると思います。
雀荘辞めたら?
先ほども書きましたが、お金が無さ過ぎて借りていた物件を追い出され、雀荘のメンバーの家で寝泊まりしていたので雀荘をやめた瞬間ホームレスです。
それでなくても家具が店長の家に預かってもらっている手前辞めることができませんでした。
この時点でだいぶ詰んでます。
辞める=衣食住全てを失える素敵環境。
辞めた時点で衣食住を失うというのもありましたが、預かってもらってる家具や私物の数々を実家に郵送するお金が無い。
厚意で預かってもらっているはずが、実質ただの人質状態で見事に詰む
お金が無さ過ぎてコンビニやパチンコ屋のバイトに面接に行くも……
このままではいけないと一念発起し店長に相談、時間の融通を付けてくれるとの事でバイトの面接に行きました。
コンビニ2つ面接に行き、1つ目は
君、臭うね。客商売なんでそういうのは無理だよ
鋭利な言葉のナイフで刺されて落ちました。
洗濯してないとかお風呂入っていないとかそんな話でなく、雀荘で働いていたまんまの白カッターシャツで面接に行ったため、たばこの臭いが酷かったご様子。
2件目は問題なく採用され、働きだしました。
廃棄のお弁当が僕のライフラインでしたが、酔っぱらったおじ様に缶ビールを全力投球され揉め事に発展したので警察を呼んだ翌日にクビになりました。
理不尽です。
パチンコ屋にも面接に行き、無事に採用されました。
早番限定という条件で採用していただき、頑張ったのですが。
早番8:30出勤→17:00退勤からの雀荘出勤→朝3時~6時まで仕事→パチンコ屋8:30出勤→以下ループ
人間のするタイムスケジュールではありません。
今日日ペッパー君でももう少し人道的な働き方をしています。
1ヶ月でメンタルと体がやられてパチンコ屋を辞めました。
その間の給料ですか?当たり前のように全部パチスロに消えました。
なぜお金を貯めて雀荘から脱出しなかったのか理解に苦しみます。
食事のほとんどがマクドナルド、そして血を吐く
当時マクドナルドがまだ安かった時代だったので、毎日マクドナルドで生活していました。
ハンバーガーが100円切っていた気がします。
ほぼ毎日食べていました。
今でも好きです。
そのおかげなのかなんなのか、マクドナルド生活2か月目に血を吐くも健康保険など入っていないしお金もないので医者に行けず死を覚悟しました。
むせたので、店のおしぼりで口に蓋をしたのですが、これまぁ見事に赤く染まりました。
これには同じ卓で麻雀を打っていたお客さんもドン引きです。
すぐに帰らされました。
誰も医者に行けとは言いませんでした、今思い返せばお客さん含め全員人の心どこに置いてきたのでしょう。
で、当時すでに店長やメンバーの家を転々としていたのですが、転がり込む家の家主はみんな勤務中。
帰るところもなく、血を吐いたばかりなのに冬の寒空の下うずくまっているしかありませんでした。
リアル家なき子です。
根性論で1週間ぐらいホームレス
トラブルとかではなく、麻雀の打ち筋に関するもので、当時オーナーに言われた言葉を今でも覚えています。
従業員の家に泊まりこんだり飯食ったり生活できる環境があることに甘えてるからそんな甘い麻雀打つんや、しばらく頭冷やしてこい!店長も従業員もこいつ家に泊めるなよ!仕事にも出てくるな!
クレイジーここに極まれりです。
追い込まれて感覚研ぎ澄ましたらシックスセンスが覚醒すると本気で思っているタイプのオーナーで、実際機嫌の浮き沈みが激しい人間でしたので、タイミングが悪かったのでしょう。
この時も季節は冬でした。
財布には本気でお金が無く、出勤停止命令の為にカロリー摂取元の鬼シロップアイスコーヒーも供給源を絶たれたので地獄でした。
今でも忘れません、帰る場所もない1週間を何とかして手に入れたロッテのブルーベリー味の板ガムで飢えを凌ぎ、夜は暖房の効いたコンビニで立ち読み、昼はパチンコ屋のトイレで眠る生活。
結論から言うと何も研ぎ澄まされませんでしたし、命の危険をマジで感じましたし、得た物は惨めさだけでした。
なお、当時の所持金は100円を切っていました。
行きついた結論が麻雀で勝つこと
オーナーや店長が、負けるから金がないんや!
金が欲しかったら勝て!というので
一念発起してお客さんを財布として見ることにし、本気で勝つ打ち方をしました。
3日間その打ち方をして、給料以外で10万円の収入を達成!
時給も入れたらそこそこの金額になるので僕の未来は明るい希望に満ち溢れました。
ガチでお客さんから毟り取った為、4日目に事務所の応接室に呼び出され、オーナーに灰皿で頭を殴られました。
真上から振り下ろされる、体重と腰の入った一撃でした。
Vシネマでよく見るやつですね。
優しいなと思ったのが、角でなく底面だったので血も出ず、軽い脳震盪程度で済みました。
頭かち割られるよりはマシだと当時は思っていましたが、冷静に考えたら理不尽ですね。
基本的に金属バットやゴルフクラブ、そしてVシネ灰皿アタックを躊躇いなく本気で振り抜ける人種には近づかないような人生を歩んでいたつもりでしたが、割と身近にいてました。
その1件で常連のお客さんがそれ以降来店しなくなったので、罰金としてその月の勝ち分は全部没収されました。
昔のお百姓さんが一揆を起こす気持ちが少しわかりました。
お金が無さ過ぎてホストクラブの体験入店へ
当時住んでいた地域にいくつか店舗を持つグループ店に体験入店に行ってきました。
1日体験するだけで5000円。
当時は凄く割が良いように思えましたが、8時間拘束されて5000円と身分証のコピーを取られるリスクを考えたらボチボチリスキーだなと今では思います。
ちなみに、お酒は飲めなくても大丈夫でした。
本入店となった場合はわかりませんが、体験入店では飲めなくても先輩ホストがカバーしてくれました。
体験入店を一言で述べると楽しかったですが、一皮むいたら雀荘よりこっちの方がやべぇ職場だったのかもしれません。
体の張り方が尋常じゃない。
閉店のミーティングではその日出勤のホストがホールに集まって収支やらなんやら報告するのですが、6割のホストの方が酔い潰れていました。
この時の経験で、ホストは顔よりも口が大事だなと学びました。
当然この時に得た5000円は消費者金融への返済に充てるとかそういうことはなく、生きるために使いました。
雀荘で働いていた時代のまとめ
思い出せる範囲で書きましたが、他にも色々あった気がします。
15年ぐらい前の話ですので多少記憶が前後していますが、概ねこんな感じでした。
最終的に何故雀荘を辞めることができたのか、携帯代の支払いや生活面での資金はどうやっていたのかなど回収されていない伏線がボチボチありますが、ブログに書ける内容はこの辺が限界です。
地元に帰ってきたときの借金総額は諸々含めると150万ぐらいだったでしょうか?
借金の額だけで言えば上には上がいると思いますが、当時の僕が借りられる額はこれが限界でした。
もちろん、地元に帰ってきてからも数々のクズムーブがあり、正直20代は一部を除いて人としてまともな生活や人付き合いをしていたとはお世辞にも言えません。
30代になり、まともな会社に就職したことで当時付き合っていた彼女が奥さんになり、無事に結婚式を挙げ、家を建て、娘を授かり人間らしいまともな生活ができるようになりました。
自分だけの力ではなく、周りの人間に助けてもらった部分も大きく、1人では今の環境を築くことはできなかったでしょう。
ここに来るまでに多くの手を差し伸べてくれた人に嘘をつき裏切って生きてきました。
その分、今は僕が手を差し伸べられる相手にはできる限り手を差し伸べるようにしていますが、これもなかなか難しいものです。
この記事を通して伝えたかったのは、どんなにゴミクズみたいな生き方をしてきても、本人と環境、周りの人間でいくらでも立て直せるという事です。
また当時の肥溜めみたいな思い出が蘇れば加筆、新規で記事を書こうと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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